【解説】
明治初年,殖産政策の一環として綿糸紡績業の振興をはかるため,政府は当時綿花の産出が多かった愛知と広島に洋式紡績機を備えた工場を設立することにした。動力として水力を選んだため広島ではこの地に決まった。工場は,明治15年(1882)落成寸前に士族授産のため広島綿糸紡績会社に払い下げられたが,この工場が日本の紡績事業を刺激興隆されたことはいうまでもない。今日6反5畝(約6500平方メートル)の工場敷地には石垣が残るのみであるが,延々600mの水路と動力の中枢であった水車に通ずる水門余水の調節口などによって,往時の様をしのぶことができる。
名称 | 官立綿糸紡績工場跡 | |
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よみがな | かんりつめんしぼうせきこうじょうあと | |
指定 | 県指定 | |
種別 | 史跡 | |
種類 | ||
所在地 | 広島市安芸区瀬野川町 | |
員数 | ||
指定年月日 | 昭和15年11月10日 | |
構造形式 | ||
法量 | ||
公開状況 | 常時公開 | |
交通案内 | ○「広島バスセンター」から「一貫田経由阿戸行」バスで「神立」下車,東へ約50m | |
関連施設 | 名称 | |
開館時間 | ||
休館日 | ||
入館料 | ||
所在地 | ||
電話番号 | ||
交通案内 |